2011年11月14日
カミングアウト

元大阪府知事で、大阪市長選挙に出馬した
橋本氏の、父親や叔父の事が週刊誌にリークされたが
それが何だと言うのだろう
そういう立場の人は、政治家になってはいけないと言うのだろうか
それに橋本氏の場合は、幼少までの話で本人に記憶は無い
母親は別の人と再婚していて、橋本氏にとっての父親は
再婚相手の方だろう
実は私の、亡くなった父親は「任侠」の人である
浜松事件(はままつじけん)とは
1948年(昭和23年)4月に静岡県浜松市で発生した抗争事件。
浜松大紛争とも呼ばれる。
事件の発端
戦後、市内の国際マーケットは在日朝鮮人が押さえていたが
浜松の闇市は的屋の関東霊岸島桝屋一家分家(服部)がおさえていた。
県議会議員となった服部治助の跡を継いでいたのが「小野組」小野近義である。
在日朝鮮人は、在日本朝鮮人連盟の威光を背景に
地元の自治体警察である浜松市警察の介入を許さず、禁制品を公然と売り捌いていた。
小野組の方は比較的合法な物品しか売っていなかったため
客足が奪われることになり、小野組は朝鮮人に反感をもっていた。
1948年3月には、浜松市警の巡査が賭博の現行犯で朝鮮人を逮捕しようとしたところ
返り討ちにあって負傷する事件が発生した。
小野組は、その巡査を救出して近くの病院に収容
病院周辺を警護して朝鮮人の来襲を阻止するなど、一触即発の事態を迎えつつあった。
事件の概要
4月4日夕方、朝鮮人が小野組組長宅を襲撃したことで
朝鮮人・小野組・浜松市警の三つ巴の抗争が勃発した。
小野組は直ちに報復すべく会合を開いたが、朝鮮人はその会合場所を襲い銃撃した。
浜松市警も抗争を鎮圧するために出動したが、朝鮮人は伝馬町交差点でこれを迎えうち
警察との間で銃撃戦となった。
5日以降の数日間の戦闘で死者数人・負傷者約300人を出した。
浜松市警は、岐阜軍政部にMPの出動を要請し
400人のMPが浜松に派遣されたことで漸く沈静化した。
その後の顛末
この事件により、増長していた朝鮮人の評判は地に落ち
逆に小野組は浜松市民有志から50万円の見舞金が送られた。
同年8月4日、静岡地方裁判所浜松支部は17人に懲役6ヶ月~4年を言い渡した。
霊岸島枡屋一家服部会の系譜
初代 服部治助
二代目 小野近義
三代目 古澤秋一
四代目 板垣菊次郎
五代目 笠原敏郎
六代目 小櫻龍治
七代目 渡辺達則
この霊岸島枡屋服部六代目 小櫻龍治という人が
私の父親です
「弱きを助け、強きを挫く」という男でした
私が介護の仕事をしているのも
父親のDNAを受け継いでいるからかもしれません
百歩譲って、私の立場では、政治家になる事は出来ないかもしれませんが
橋本氏は何の問題も無いでしょう
橋本氏の父親や叔父の情報を
週刊誌にリ-クしたであろう敵対候補は
人間としての最低の行為を行った
そんなのが偉そうに政治を語る資格などは無い
ただ、公務員特権や利権・・そして
利権勢力の既得権益を守るためだけに
橋本氏を批判しているだけである。
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Posted by にじの家 at 13:47│Comments(0)
│日々想う事




